三田の屋敷町テクテク… /さか井建築設計事務所

過日、屋敷町の某所で「武士のくらし」展が開催されていると知り、散策兼ねて

訪れてきました。 屋敷町界隈はかっての侍町であったところ。

学生時代、6年間歩き慣れたところでした…が、かっての面影は殆ど残っていない。

道路も付け換わり、方向感覚がハッキリしなくなってしまい時間の流れを痛切に

感じさせられました。

屋敷町は上級武士の居住区であり、旧九鬼家住宅のある。

江戸初期の有馬氏等以降、1633年九鬼家の領地支配が明治維新まで継続した。

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家老職を代々勤めた九鬼家の住宅で、明治8年前後に建てられた全国でも数少ない

擬洋風建築の建物です。当日は開館されてなく内部見学はできず概観だけ写真を…

学生時代幾度と無く歩いていたはず… 全然記憶に無い。


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旧屋敷町の面影が… 神社の周辺には残されていた。 半世紀近く前には

学園から三田駅までの道筋で何となくおぼろげに記憶が戻ってきたような…

道幅は当時の10尺道のまま、界隈は変わってしまった。


    P1020286-00.jpg
そのうち、なんと茅葺きの旧武家住宅と思しき建物が、土蔵も残されている。

隣りには5~6階建てのマンションが…

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ポツンポツンと古民家が残っている。維新以降の町家建築である。現在いこいの家と

して使われていました。 現在の屋敷町の景観からは古くて浮いているようだが、や

はり旧屋敷町の建物として長く残し、使い続けて欲しいものです。


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陣屋の模型ですが、1633年九鬼久隆が三田に転封して陣屋統治が始まり1868年

まで235年間続いた。 入部当時、江戸幕府・家光の時代であった。一国一城令や

武家諸法度で厳しく管理されていた為、天守を構えることは許されなかったが、威風

堂々とした陣屋を構え安定した政治を行った。

※一部解説書引用

時間が足らず、一日掛けてじっくりと散策してみたいものですね。

左官職人の匠の技~土蔵修理/丹波篠山・伝建地区

現在、丹波篠山の伝建地区内の土蔵保存修理工事を進めています。
土蔵の大壁漆喰塗りが兵庫南部地震の影響で大きく構造亀裂を起こしています。
保存修理のため、剥離・浮上がっている土壁を落とし、小舞竹下地から修復を
していますが、本格的な修理は現在では機会が無い…
コストの問題もあり、簡易的な修理で済ますケースが多いのが実情です。
また同時に海鼠壁の修復・土戸(開き戸)の取外しなど左官工事の粋を集めた
修理現場となった。

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不同沈下の修正のため、曳き家工事でジャキアップ…全体の揚屋、土台の差替え、延
べ石の設置等・・・また屋根面全体の修復、復元など本格的な復元修理現場となりました。

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構造亀裂の修復・・・ 掛け縄という修理手法とのこと。下げ緒なども・・・
土蔵2棟同時に同類の壁補強を進めています。現場では若匠をベテランが指導しながら…
いい経験となるでしょう!

     P1020201-00.jpg
柱脚部分の壁土の塗り付け… 団子状にした壁土を投げ付けながら塗っています。
若匠・・・ 泥まみれになり、小雪の舞う寒い中頑張っています。この経験は
必ず活きて来るはず!!

土蔵修理・左官の匠


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